時計と馬
今成哲夫
時計と馬
今成哲夫
2021/1/20
早朝に起きて、急いで身支度をしていると、居間の時計がおかしい。
針がすごい勢いで回っている。ぐるぐると、止まる気配が無い。
分針が5秒で一周してしまう。
いまは、、2時?
なめらかな針が実家のまだ暗い朝を、音もなく、かき混ぜている。
焼いたパンをかじりながら、今起こっていることについて、一歩引いて考えた。音の無い朝。
そうしたら、自分の思考が、見えてきた。
A まず、怖いと感じた。不気味な朝。それでも、時計は神棚のようにいつも上のほうにあるから、部屋を守る神様のように見える。神様が荒ぶっているのか。
B 神様が怒っているのか、なにか張り切っているのか。
いつだって神の啓示には理由があって、それを考えた。どんな理由なのか。すぐにはわからないことのようだけど、とにかく、その瞬間から考えはじめた。
C 携帯電話を見た。時刻は5:50。いつも正しい、僕の時計です。液晶パネルの、みんなの時計。針の遅れを治したりする必要もない。豪奢な時計台を眺める代わりに、みんな手元の鏡を見るようになった。
みんなの時計がマトモだという確認のために、見たのだ。思った通りだな、という地味な印象の、「みんなの時計」
D まだ寝ている父や母にどういう風に教えるか、考えた。
さすがにギョッとするだろうな、この時計の動きを見たら。
あんまり朝から驚いて欲しくないと思って、あとでグループラインするとこにした。「時計が変!」
E 時計は止まらない。まだつっ走っている。神様の言葉のヒントは、もしかしたら未来にあるの?早く行けと、言われてる。
これからしてみたいこと、行ってみたいところ、会いたい人のことを考えた。あって何をしよう?何を話そう?この時計の話はするだろうか。
「いつも神社で手を合わせる時に、身の回りの人のことを思い浮かべてみる。もはや癖というか、ゲームみたいになってて、顔をどんどん探していく。あの人からその人へ、飛んでいく。これが走馬灯みたいなんだよ」と隣にいる人に打ち明けた。先日。
「そうなんだね」「忙しそうだねえ」
いまは、
ぼくの馬がずっと前を走っている。
あの時計も追い越してしまいそう。