-二号線を逸れろ。今宵歩いて行くだけ。-
枡本航太
-二号線を逸れろ。今宵歩いて行くだけ。-
枡本航太
人類がネット上に簡単に文をアップできる前の時代、zineは思いのたけをブチ込み、人に伝えられる貴重な場所の一つだった。
「弱いzineから連想することを書いて欲しい。」
そんな連絡を貰ったおれは、真っ先に思い浮かべたのが、「我々一人一人は、微力だとしても、非力ではない」という言葉だった。
何か得体の知れない大きなものに巻き込まれるような、気付いたら足元を救われてしまうような、そんな何かに抗うように小さな声とされている者達の言葉が、大切な知の集合体のzineになればいいなと思い筆を取る。
例えば、京都の左京区に住む人が、今日はラーメンが食べたいと言ったとしよう。
もうこれだけでも、北海道の中標津に住む人にとっては、京都のラーメンってどんなんだろう? とイメージを膨らませるきっかけになったりする。
誰かの日常は、他の誰かにとって詩である。
ブエノスアイレスの少女が朝ごはんの支度をしているのをツイートする、道頓堀のキャッチがセルフィーをする、愛媛の松山の牛丼がうまい、沖縄の粟国島にいる恋人が好きだと言う。
呟いた者にとって何気ない景色であっても、受け取る人によっては、狂おしいほどに帰りたい場所だったりする。
身体が思うように動かないとき、精神が絶望の淵を彷徨うとき、希望という名の病に侵された者は、ありったけの美しいことを思い浮かべて、今ある暗闇に色を塗ろうとする。
行きたい場所や、生きたい場所のことを想像して、そこに自分の肉体ではなく、心を置くのだ。
リモート呑み会なんて言葉が無かった頃から、おれは随分とリモートで呑み会含め、色々とやってきた。
ベルリンを拠点にしていた時期は、Skypeで日本と繋ぎ、ドイツビールと焼酎ロックで画面越しに友人と乾杯した。
今日、何をしてた? 今、窓の外は何が見える? お互いにとってのありふれた日常の風景が、とてつもなく尊いものに思えて、画面越しに愛しさが溢れ出していた。
時差があるため、あるときは相手の一日の終わりに乾杯し、自分にとっては始まりの時間、またあるときは、その逆も。肉体を置ける空間を共有していなくとも、思い出を共有することは、リモートでもできる。
人は会っていない時間にその人への想いを育てられる生き物だ。
今、海外に行くことや、大人数で集まることが制限されているが、 ネット上だろうが、実際に会えようが、そこに人がいることに変わりはない。
大切なことは、状況がどうであれ、相手を受け止めたいと思うかどうかだ。
人と別れるとき、次、また会えると思わないように、一晩を懸命に過ごせているのか?今を我慢の時期ではなく、工夫の時間にできているのか?
いつどんな状況でも、楽しむことを諦めてないか?日々おれは自分に問いながら、たわいもない小さな瞬間を記す。この状況への答え合わせなど、もしかしたら、未来にできなくてもよいのかもしれない。今を充足させて生きていられれば。
何かを裁くことより、何かを作ることで1日を満たしたい。宝物を貯めるように音を紡ぎ、気付きを言葉にし、古い切手のコレクションを見せ合う子供の気持ちで、知恵と技術を友達と分かち合いたい。
実は今日、こんなメールが韓国の友達から届いていた。最近はKOTAは外に行ってるのか?と。 前回彼との画面越しでの呑み会時、おれがあまりにも出歩いてないので、気にしてくれたのかもしれない。七つの海を越える勢いで、スケーボーと、ギターと機材と重量オーバーの希望をL.C.Cに乗せて音楽の旅を続け、口を開けば旅をしろと人に言っていた自分が半径何キロかを周遊する生活をしている。
そのメールを、おれはずっと行きたかった松屋で開いた。牛丼のあの松屋でだ。海外にもう一年近く行けてないが、味覚が、海外から日本に帰国したての浦島太郎状態のあの感じになり、日本のファストフードを求めていた。
パン、麺、韓国、四川、ヨーロッパ各国の料理・・・おれほど、自ら食事を作る者にとって最大の贅沢はときにファストフードだったりもする。
仕事の締め切りを設定している自分へのささやかな小旅行として、空港に併設された都市部や郊外ではよく見かけるチェーン店への郷愁が積もりに積もり、麒麟好きのおれが朝日を浴びて、チビチビ、瓶、瓶ビールしてしまっていた。今宵は牛丼をつまみに。
おれは今、MATUYAにいるよ!と、友人にメールしたら、まじかよ!おれは今、そこにめちゃくちゃ行きたいよ!と返信が返ってきた。
彼にとっての松屋の牛丼は、おれにとっては、24時間やってるソウルの深夜食堂で食らうビビンパに匹敵する程、その国へと帰ってこられる装置だったのかもしれない。
日常は日常だと思うから日常だ。
明日が来る保障はない。
美しくもない住宅地と、2号線の景観から逸れて、裏通りを歩く。
今居る景色に言葉を投げ、音を投げかける。
つまりは、この文を読んでくれた人も旅仲間なんだ。
あなたの1日に発見がありますよう。 体がしんどくないよう無事でいられますよう、冗談を言って隣人を笑わせられるよう。
そんなことを、思います。
また会いましょう。とびきりのアイディアのコレクションを携えて。
ただ歩いて行くだけだ。