「じん、じん、じん」
立川貴一
「じん、じん、じん」
立川貴一
ある日、私はとある閉鎖病棟に入った。 医療保護入院というやつで、半強制入院みたいなものだった。
そこには25人の男たちが同じ階に 収監されていた。 中での生活はかんたんだ。
6時に起こされ、7時に薬を飲む。8時から朝食。 その後、ラジオ体操が第2まで。11時半に昼食があり、 それから6hの自由。 途中、ぽたぽた焼きが一枚だけ配られる。 何もすることが無いことに向き合うだけの時間。6h×終わりの見えない毎日。 だから私は夜眠るためにひたすら歩いた。
考えや葛藤で、脳みそが息切れしそうになるような6hが経過すれば、 また薬を飲み、
18時から夕食を摂る。3hの自由、何もない21時には睡眠薬が配られ、25人の男たちは床に就く。
眠れるもの、眠れないものがいる中で、眠る。
6時に起こされ、7時に薬を飲む。8時から食事。 その後、ラジオ体操が第2まで。 ぽたぽた焼きのために25人の男たちは並ぶ。笑顔はない。21時には睡眠薬が配られ、 私も、過ごす、並ぶ。
食事はかならず、一日1800キロカロリー。 決まったローテーションに収監されていく。
頭が痒い。 風呂は一週間に二度、一人10分までだ。
6時に起こされ、7時に薬を飲む。8時から食事。 その後、ラジオ体操が第2まで。
合間に開く本、過ごす、読む、並ぶ。
開いた本の曰く、 「精神病者の崩壊への不安はすでに起こったことへの不安である。 (精神病のほとんどすべては、それらへの防衛本能であるに他ならない。) 臨床的な崩壊不安は、既に起きてしまったことへの不安である。」
11時半にまた食事25人の男たちは並ぶ。 ろれつの回らない者がほとんどだ。 私のろれつは回っているのだろうか。それから6hの自由。 やはり、何もない。
6h×終わりの見えない日々。、、。
私の病室のベッドには猫の死体が横たわっていた。 ベッドの下にはウジが蠢いており、死体を狙っている。
私はアルコールの消毒液をウジに吹きかけ続けた。 気持ち、小さくなるようだ。
ウジたちに猫を食べさせるわけにはいかない、と思った。 窓を割ってでも、土に返したい。
しかし、ウジの繁殖は早く、どれだけ抵抗しても数は減らない。 なにせ、彼らは1万匹もいる。
猫を食べたウジは蛹になり、脱皮を始める。 そうして、青い大きな蝶になっていった。 それも潰さなければならない。
毛布のシワは瀕死の成猫に変わり、それを餓死寸前の猫が、涙を流しながら食べる。 部屋では猫が増えたり減ったりを繰り返していく。 なくなっていくものだけが増殖してくだけの部屋と時間。
看護師に事態を訴えるが誰も耳を貸さない。 それどころか拘束具でベッドに身体を縛り付け、それでも大人しくならない私に鎮静剤や睡眠薬を飲ませ、隔離部屋に押し込んだ。
私は暴れ、喚きながら、5箇所の場所を巡り、多くの友人知人と会っていた。
だが、徐々に猫たちが幻覚であることに気付いていく中で、自分は拘束されたまま何処にも行っておらず、誰にも会っていないことを自覚していったのだった。
隔離部屋どころか、ベッドに拘束されたまま、1ミリも移動せず、4日間が経っていたのだ。 そして、幻覚を幻覚だと認識する度に、猫たちが脳裏をよぎる。
よぎるのは、現実に一緒に暮らしている、飼い猫たち。
唐突に収監されたことで、世話をしなければならなかった猫たちと離れてしまった不安から、私は幻覚を見続けていたのだった。
拘束具が外れてからは一人部屋から四人部屋に変わった。 綜合失調症の少年、ヤクザ、シャブ中、そして私。
少年は幻聴を聞き続けていて、 シャブ中は落ち着かない様子でひたすら衣類を畳んでいた。
私はといえば、相変わらずあるき続けていた。考えたかった。
それから二週間近くが経ち、私が退院する日が決まった。
そしてその日、シャブ中は看護師と怒鳴り合いの喧嘩をしてしまい、隔離部屋に移された。 同じ様に拘束されているのだろう。 フロア中に叫び声が響いていた。
それを聞きながら、退院の時間が来るのを待った。 病院から出ると、 同じ部屋のヤクザがこちらに声をかけた。そして、大きく手を振った。
私は小さく手を振り返し、けれども声は出さず、 二度と会わないだろう、そうしようと決め、迎えの車に飛び乗ったのだった。
猫たちをかわいがる、いつもの生活に帰ることができた。
生活はかんたんだ。
だが、生活はかんたんに壊れる。 法を犯せばなおさらである。
これまで、壊れることを望み続けて、いざ壊れてみれば、恐怖と不安だけが私の中にはあった。
それだけ守らなければいけないと思っているものが、身近に増えていたのだった。
せいかつの中で 守らなければならないラインとはなんなのか。 私は今日も猫たちを撫でる。
幻覚で見たたくさんの場所、言葉、人物たちが、今度は現実の、本来の形として、思い出として脳内に浮かんできた。
拘束されながら暴れた時の、手首の傷が痛む。 じん、じん、じん。